フランス・オクシタニ地方ライドその7
ブレロの海外勤務は1年だけなので、もうすぐブレロ一家は帰国しなければならない。
欧州滞在も残り少ないということで、妻氏はブレロ3号を連れてバルセロナまで旅行に行ってしまった。ブレロはそんなに何日も休めないということで家に残ったが、週末だけでもどこかに1泊して武論富敦旅できればなあ、とは思っていた。
目的地の候補として、フランスの美しい村にも選ばれたルブルサック(Loubressac)を考えていたのだが、週末そこは雨降りの予報しか出ていなかったので、残念ながらこの旅は実現しなかった。
他のオクシタニ地域の天気も(予報によれば)おしなべてよくなかった。トゥールーズ近辺のみ日曜は「曇り時々晴れ」という予報が出ていたので、家からさほど遠くないオード・アリエージュ(Aude=Ariège)の丘陵群をライドすることにした。
設定したコースは、ヴェルネ(Vernet d’Ariège)というSNCFの駅を出発して、ぐるっと丘陵を周ってまた戻ってくるというコースである。途中でマゼール(Mazères)という小さなコミューンを通過するが、ブレロが立ち寄った時間帯(お昼時)にはちょうどマルシェ(蚤の市)が開かれていて、街の目貫通りに交通規制が敷かれていた。通りを挟んで向かい合う建物がいくつも紐で繋がれ、そこにぶら下がった沢山の小旗やカラーテープが風になびいていた。この種のデコレーションは、特別な催しが行われときに南仏の街でよく見るものだ。
訪れたときはよくわからなかったが、このマルシェは「ブドウ市(Foire des vendanges)」であったことが後で調べてわかった。ブドウ市とは、ブドウの収穫が無事終了したことを祝って開催される伝統的なお祭りである。今年はたまたまマゼールが、この地域のブドウ市の開催地に選ばれたようである。
教会前の広場にはトラクターが数台停まっていた。木陰には馬がいて木につながれていた。なるほど、これぞブドウ畑の農場主たちによるお祭りである。広場では驚いたことにクラシック・カーが展示されていた。展示されていたのは、1950年代製のプジョーや19世紀に製造されたプジョー。とある農場主のコレクションらしい。土地があまっているので、売ったり廃棄したりせずに保管していたのだろうか? ブレロは実物を見て、19世紀のプジョーはハンドルがレバーだったということを今回初めて知った*。
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建物の間を
つなぐ紐につるされたたくさんのカラーテープ。お祭りの雰囲気が街を包んでいる。
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何やら歴史ある
建物だが、今はイベント会場として使用されているようだ。
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プジョーの
クラシックカーが展示されていた。今も走らせているのだろうか。メンテナンスが大変だと思うが。
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ロケット型の
クラシックカーは初めて見た。こういうモノを大事にする文化が欧州の隅々で息づいている。
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エ川にかかる
橋。マゼールの中央を横切っている川(L'Hers)である。
教会の隣の旧市場(Halle)は仮設レストランになっていて、マルシェで買い物を終えた人たちが開放的な雰囲気の中で食事を楽しんでいた(ブドウ市では、ワインやチーズがリーズナブルな値段でふるまわれる)。今、フランスは、公的支出を減らそうとする政府の予算案に反対するデモが全国で実施されるなど、政治的には不穏な情勢下にあるが、こういう人たちをみると「生活苦にあえいでいる人たちなんか、どこにいるんだ?」と思ってしまう。一般的な日本人よりも余程ゆとりのある生活を送っているようにみえる。そのせいか、人々も親切で優しい人が多い。
ブレロもここでワインとチーズに舌鼓を打ちたいと、どれほど思ったことか。しかし、サイクリングはまだまだ始まったばかりである。仕方なく、マゼールを通り過ぎて丘陵地帯に入る。
不思議なもので、行くまでは「丘陵の景色もそろそろ見飽きた」などと思っていたのだが、実際に行くと「素晴らしい、最高!」といつも感動してしまう(それを知っているから、行くのだが)。今回のコースは「これでもか」というくらい丘陵ライドを堪能できるコースであり、いつもより長く多く上記の感動を味わうことができた。今日は天気が不安定で、雲が空一面を覆ったかと思うと、さあっと移動して晴れ渡る時間帯もあった。雲の影が丘陵の畑の上を覆う、あるいは移動していく――はるか向こうの丘陵では雨が降っているらしく、そこだけ白く煙っている――それらの様子は何とも言えず詩的であった。
ところで、こういう丘陵の上にもぽつらぽつら人家があって、地所が公道から離れている場合には田園の中を長い私道が伸びている。ブレロはそういう私道の一つに入って、よい角度のところから丘陵を覆う枯れたヒマワリの畑の写真を撮っていた。すると向こうから自家用車が近づいてきた。「勝手に私道に入ったことを怒られちゃうかな」と思ってビビッていたら、車の窓が開いてマダムが「誰かの家を探しているの?」ときいてきた。「いえ、単にここからの景色が素晴らしいので、写真を撮影していました」というと、「向こうに行くと、もっと素晴らしい景色があるわよ」とマダムは言った。ブレロが写真を撮るために私道に入ったということは、おそらくマダムもわかっていたと思う。だが、こんなところに来る人は珍しいので、念のため親切にきいてくれたのだろう。確かに、通りに整然と並ぶ建物に番号がついている街とは違って、このような丘陵上では(たとえ車でも)初めて誰かを訪ねるのは難しいのではないかと思う。
今回の主な目的地は、廃墟(vestige)である。グリュイッサンでも赤ひげの塔という廃墟を見たが、あれはけっこうな観光地であった。そうではなく、滅多に人が訪れない、自然に打ち捨てられている城や風車の廃墟を見たいと思ったのだ。そういうものがこの地域にあるというので、コースに組み入れてみた。
その廃墟の一つがベルペシュ(Belpech)という村にある城の廃墟である。ベルペシュとはフランス語風の名前で、オック語ではベルプエグ(Bèlpuèg)というらしい(原義は「美しい頂」)。この城は、あたり一帯を支配した豪族(ベルペシュ家)が11世紀頃に建造したといわれている。ベルペシュ家は、何らかの理由によりアルビジョワ十字軍の攻撃を受けることなく、300年の命脈を保つことができた。この廃墟は私有地の中にあるが、土地の所有者は訪問者が自由にアクセスできるように小道の通行を認めているという。あまり保存の必要性を認めていないのか、地域の自治体はこれを廃墟のまま放置しているようである。そうすると崩壊が止まらないから、いずれこの廃墟は跡形もなくなってしまう――そこまで行かなくても原型を想起するのが難しくなる――日が来るだろう。
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丘陵のあちこちで
ひまわりの花が立ち枯れていた。写真でみるといまいちだけれど、現地でみると壮観。
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何もかもが
刈り取られ茫漠とした状態の畑が、丘陵の上に広がっている。
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ライドの途中で
みた風車の廃墟。近くに寄ってみてみたかったが、畑の真ん中に建っているらしく、アクセスは不可能だった。
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ベルペシュ城の
廃墟。所有者は保存に無関心のようだが、地元の歴史愛好家たちは保存の必要性を訴えているようだ。
もう一度いうが、今回のコースは「これでもか」というくらい丘陵ライドを堪能できるコースにした。ただ、長く丘陵上にとどまるということは、その間頻繁にアップダウンを経験するということでもある。また総距離が約50キロに及ぶので、果たしてブレロの体力で大丈夫かという一抹の不安があった。以前やった「ツール・ド・フランス体験ライド」ほどきついコースではないし、ゆっくり走るつもりだし、気候もだいぶ穏やかになっているから大丈夫だろうと思っていたが、甘かった。なんとかヴェルネ駅まで戻ってこれたが、戻ったときには完全に水分不足でグロッキー状態になってしまった。誤算の一つは、けっこう暑かったことである。曇ったり、雨がぱらついた時間帯もあったが、半分以上は晴れていて強烈な日差しだった。
* T型フォードはプロトタイプから円形ハンドルなので、車のハンドルというのは昔から円形だろうと思い込んでいたが、そうではなかった。関係ないが、「あらいぐまラスカル」の主人公スターリングの父ウィラードさんが愛用していたのがT型フォードではなかったか。吹雪でエンコしてしまったシーンが記憶に残っている。現代の車も積雪には弱い。T型フォードと違って車内は密閉空間だが、電気やガソリンがなくなれば凍死する可能性もある。やっぱりそういう過酷な環境下では、馬が最強なんだろうなあ。