オック語について考えたこと

1.オクシタニ=オック語圏

 

ブレロは今トゥールーズで働いているが、この街はオクシタニ地域圏(Occitanie)に包含される主要都市の一つである。オクシタニはオクシタン(occitan)というフランス語に由来する語で、オクシタンは形容詞あるいは名詞であり、それぞれ「オック語の」「オック語」という意味をもつ。また、大文字で始まるオクシタン(Occitan)は、「オクシタニの住民男性」(名詞)という意味をもつ(オクシタニの住民女性はオクシタヌ[Occitane])。

 

フランスには古くからラングドック(Languedoc)と呼ばれる地域もある。この名称もフランス語のlangue d’ocすなわちオック語に由来する。しかしこれは、オクシタニ地域圏の別名ではなく、それに含まれる一地方という位置づけになる。トゥールーズやアルビ、カルカソンヌ、ニームも、この地方に含まれるようである。

 

そうすると、かつてはラングドックと呼ばれる範囲を超えて、オクシタニ全域でオック語が話されていたことになるが、なぜあえて上記の、より狭い地方だけラングドックと呼ばれていたのかは、定かでない。18世紀にアルビに存在した異端カタリ派を撲滅するために十字軍が派遣され、その後王領へと併合された特定の地域がラングドックの始まりであるが、新たに支配を開始したフランス国王側の人間が、ことさら深い考えなしに当該地域をラングドックと呼んだだけかもしれない。

 

オクシタニは今日ではフランスの行政区分であるが(2016年政令)、歴史的・民俗的には北イタリアの一部やモナコも包含する地域とされている。その正確な範囲はよくわからないが、かつてオック語が話されていた地域を目安とするならば、そもそもフランスの南半分(ロワール川以南)がこれに当たるといえる。

 

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2.オック語とオイル語

 

よく知られているように、オック語という名称は、「はい(Yes)」に当たる語がこの言語では「oc(オック)」だったことに由来する。一方、フランス語の祖に当たるフランス北部で話されていた言語では、「はい(Yes)」に当たる語が「oïl(オイル)」であったため、オイル語と呼ばれた。そう呼んでいたのはいったい誰なのか。ローマ人なのか、それとも後にガリア(今日のフランス)を征服したフランク人なのか。きちんと調べてみないとよくわからないが、おそらくフランク人ではないか。フランク人=ゲルマン人が侵入してくるまでは、全ガリアで俗ラテン語(gallo-roman)が話されていた。つまり、オック語とオイル語の区別もまだ存在しなかったと思われる。フランク人のガリア侵入後にオイル語が形成されていき(5世紀~9世紀)、やがてそれがフランス語になった。オイルが後にウィ(oui、Yesの意)になったというのは、にわかには信じがたいが、まあそうなのだろう。言語の進化とは実に不思議である。ちなみに、オック語のほうがオイル語よりもはるかにラテン語に近いそうである。オック語は俗ラテン語の特徴を多く残したのだろう。それに対してオイル語は、北方でゲルマン諸語の影響を強く受けたため、かなりラテン語から変形したものになった。実際、オイル語の正嫡であるフランス語は、他のラテン系諸語よりもラテン語からかなり遠い言語にみえる。

 

3.意外にも地下鉄内で話されていたオック語

 

ともあれ、紆余曲折により、フランス全域でフランス語が支配的になり、オック語は衰退の一途をたどった。このサイトによると、フランス国内のオック語話者は、今日では住民のおよそ7%しか存在しないらしい(2020年調査)。数にするとおよそ54万2000人である。もちろん、場所によってパーセンテージは変化する。話者の半分以上は田舎に住んでいるといるというから、都市や一定以上の規模をもつコミューンでは、話者の割合はおそらく1%を割り込むだろう。

 

そういうわけで、トゥールーズはもちろん、ミュレですらオック語話者をみつけるのは、おそらく至難の業ではないかと思う。だがブレロは、ほぼ毎日(そうと気付かずに)オック語を聞いていることを最近知った。

 

きっかけは、フランス人の同僚と食事した際に、「トゥールーズの地下鉄内で聞こえるフランス語に続くアナウンスは、あれは何語のアナウンスなのか? トゥールーズはスペインに近いが、スペイン語(カスティリャ語)ではないと思う。カタロニア語だろうか?」と彼に質問したことだった*。A線に乗ってマタビオ駅からジャン・ジョレス駅に向かう電車の中で、まずフランス語で「ご注意ください、左のドアが開きます(Attention, descente à gauche)」というアナウンスが流れる(それまでは駅に停車すると右のドアが開いていたため)。それに続いて、「アタンシオン、パバラード・ウェスク」と聞こえる謎のアナウンスがいつも流れるので、ブレロはいい機会だと思って彼にきいてみたのである。

 

なんとそれがオック語だったのである*2。ただし当該アナウンスはAtencion davalada a esquèrraと綴るようで、ちゃんと発音するなら、「アテンシオン、ダヴァラーダ・ア・エスケラ」であろうか(しかしブレロ的には、最後の「ア」母音は聞こえない。エスケかな?)。この同僚がいうには、トゥールーズの前市長だったか誰かが地方文化の保存にすごく熱意がある人で、その人の意向で地下鉄にオック語のアナウンスが流れることになったらしい*3。

 

市長?がオック語の保存にそこまで熱心だったのなら、オック語の地域ラジオ局くらいあるだろうと思って探してみたら、本当にあった(Radio Occitania)。聞いてみた。全くわからない笑。なるほどこれがオック語か…巻き舌音が独特で、rが日本語の「ラリルレロ」と化しているスペイン語やイタリア語とは少し違うが、全体的にスペイン語やイタリア語に近い。

 

オック語がこれほどフランス語と違う言葉だとは、ブレロは全く思っていなかった*4。無知なブレロは、フランス語の方言みたいなものだろうと勝手にイメージしていたのである。この先入観がどこから生じたかのは思い出せないが、『昆虫記』で有名なファーブル(Jean-Henri Casimir Fabre)もオック語で文章を書いていたときいていたから、きっとフランス語に似ているのだろうと思い込んでいたのかもしれない。

 

ちなみにこの同僚はオック語という言葉を使わずに、パトワ(Patois)という語を使いたがった。辞書で調べると、パトワの意味は、フランスで話される地方言語、田舎言葉といったところである。したがって、オック語とは全然系統を異にするブルトン語*5(ブルターニュ地方で話される)もパトワである。要するに標準フランス語ではない言葉は全部パトワなのだが、実際に地方言語をしゃべっている人にとっては、パトワでひとくくりにされるのを聞くと内心穏やかではないだろう。ちょっと差別意識を感じるといったら、言い過ぎだろうか。

 

同僚はトゥールーズ出身ではあるが、こういうトゥールーズ(あるいはオクシタニ)の独自文化の保存や称揚にあまり意義を感じていないようである(どこか冷淡である)。フランスのエリートとは、どの都市でもこういうものなのだろうか。視線がパリジャンのそれに近いのかもしれない。もちろん悪気は全然ないのであるが…。

 

実際、地方紙のこの記事によると、トゥールーズの地下鉄内でオック語のアナウンスを流すことが決まったときも、すんなりと決まったわけではないらしい。ある人たちはこれを、時代錯誤のイニシアティブ(initiative ringarde)と評したとか。まずは、こうした世論を変えなければならなかったらしい。

 

おそらく、トゥールーズの地下鉄内でオック語のアナウンスを流すことは、この街のほとんどの住民にとって、北海道の地下鉄内であえてアイヌ語のアナウンスを流すことに近い事象なのだろうと思う。オック語はアイヌ語ほど消滅危険度が高くはないが、それでもこの街における実際の生活に全く必要な言語ではない。

 

4.スタジアムで歌われていたオック語

 

春になって暖かくなり、またリーグ・アンの試合が(夜ではなく)午後に開催されることが増えてきたため、ブレロ一家は久しぶりにスタジアムにサッカーを観に行った。今回は、ホームのトゥールーズを応援するつもりで、ほぼ満員のホーム席の1角を予約した。そしてホームチームの入場直前に、前回の観戦では気が付かなかったことに気が付いた。

 

このときにサポーターはほぼ全員立ち上がって歌を歌うのだが、どう聞いてもフランス語ではない歌が歌われているのである。曲名はSe Cantoというらしい。ネットで調べてみると、これは前世紀からオクシタニの地域歌(l'hymne non officiel de l'Occitanie)とみなされている歌だった。書記法によってはSe CantaともSe Chantaとも綴るらしい。オクシタニに存在するたくさんのラグビー・チームがSe Cantoをチーム・ソングとしているとのこと。トゥールーズ・サッカークラブ(Toulouse Football Club : TFC*5)も、2010-2011シーズンから正式にこれをチーム・ソングにしたという。

 

スタジアムのディスプレー上に歌詞が映し出されていたが、その場ではオック語なので全く理解できなかった。あとで調べてみたら、Se Cantoとは「鳥が歌うなら(S’il chante)」という意味らしい。望郷、あるいは遠くいる恋人への愛をうたう歌である。

 

振り返れば、トゥールーズの市章は、カタリ派が用いていた独特の十字をデザインしたものである。そしてオクシタニは今日しばしば、Pays de Cathareすなわち「カタリ派の国」とも呼ばれる(カタリ派自体は消滅したにもかかわらず)。宗教が政治権力と結びついていた時代であれば、地方政府が、このようなカトリックからは異端とされる宗派に由来する市章を採用するなど、およそ考えられなかっただろう。ともあれここには、この街に生きる市井の人々の意識が反映している考えられる。そして彼らは、たとえ地下鉄内でオック語のアナウンスを流すことを多少時代錯誤的と感じるとしても、いざというとき(たとえばラグビーやサッカーの試合の際)にはこうしてオック語の歌を高らかに歌う。ブレロのフランス人の同僚はそういうムーブメントに冷淡であるかもしれないが、やはり住民の大部分は、自分たちの地域が育んできた文化や伝統に強い愛着を抱いているのである。

 

*ブレロはスペイン語を習ったことがあるため、スペイン語かそうでないかは判別できる。

*2 考えてみれば、そもそも駅名の標識も2種類の言語で表示されていた。したがって、各駅名もフランス語に続いてオック語でアナウンスされている。たとえば「次の駅はコンパンス・カファレリです(Prochaine station, Compans-Caffarelli)」というアナウンスの後に、「スタシオン・ヴェネント、コンパン・カファレリ」とアナウンスされる(そう聞こえる)。

*3 ちなみにSNCF Occitanieは一応国鉄であるからか、TER等の電車内でオック語のアナウンスは一切流れない。注意書きの類も、併記されるのは英語、スペイン語、そしてドイツ語である。駅構内でも、フランス語のほかにたまに流れる外国語のアナウンスは、英語だけである。

*4 同僚によると、オック語はラテン語の影響をダイレクトに受けた言語であるため、よりラテン語に近いイタリア語やスペイン語のような特徴を保持しているという。また同僚いわく、フランス語にも上質なそれとそうでないそれがあるが、上質なフランス語はあまりパリでは話されていないという。パリはしょせん庶民の街であり、王侯や貴族が好んで住んだロワール川一帯の地域にこそ、上質なフランス語の源流が存在するという(語学に疎いブレロには、何が「上質な」フランス語でパリのフランス語とどう違うのかよくわからないが…「あなたがいうパリのフランス語とは、英語でいうコクニ(Cockney)のようなものか?」ときいたら、彼は「そうだ」と言っていた)。

*5 ブルトン語は、ケルト系言語である。

*6 TFCはフランス語で「テェフセ」と発音する。これがやや訛った音韻を綴ったTéfécéは、クラブの愛称又はサポーターの総称を意味する言葉として、現地で使われている。