率直に言ってフランク人です
カール大帝はフランク王国の最も偉大な王として知られる。フランク王国はその名の通りフランク人が建設した国家で、フランク人はゲルマン人の一派(西ゲルマン人)を構成する人々だった。そしてその一部が、今日のフランスの歴史において重要な役割を果たした。フランス(France)という国の名前はフランクに由来する。
では、フランク王国を建設したフランク人とはどんな人々だったのだろうか? 「フランク」という名前は、西暦3世紀半ばに初めて史料に登場するという。それは241年頃のローマ行軍歌においてで、この行軍歌は4世紀に書かれた『皇帝列伝』に収録されて現代に伝わった。ローマ人は、ライン川中流域に居住するゲルマン人たちを一括してフランク人と呼んでいたらしい。
したがって「フランク」というのは、ローマ人が使い始めた呼称であり、フランク人たちが自分たちを指して元から使っていた言葉ではない。西暦3世紀半ばの時点では、おそらく彼らの中に単一の民族名を名乗るような民族的な一体感はなかっただろうと思われる。
ちなみに、ラテン語における「フランク(francus, franci)」の元々の語義は、「勇敢な人々」「大胆な人々」あるいは「荒々しい」「猛々しい」「おそろしい」人々であるという。ローマ人からは彼らはそう見えたということだろう。
現代フランス語では、「フランク人の」という意味の形容詞はfrancと綴るが(名詞「フランク人」はLes Francs)、「率直な、あけっぴろげの」という意味の形容詞も同じくfrancと綴る(英語のfrankと同じ)。手持ちのフランス語辞書(小学館ロベール仏和大辞典)によると、後者は古くは「自由な、束縛されない」という意味でも使われていた。
そしてこの二つのfrancは、ともに後期ラテン語のfrancusに由来するという。なぜかについても同辞書は説明している。既述のようにラテン語francusには「フランク人の」という意味があるが、「自由な」という意味もあった。フランク人は「ゲルマン民族中唯一自由民であったとされることから」、「フランク人の」を指すfrancusという単語は、転じて「自由な」という意味も持つようになったのだ。
なお、現代フランス語においてfrancは主に「率直な」という意味で使われ、「自由な」という意味ではあまり使われていないと上に書いたが、そもそも「率直な」は「些事にとらわれずに自由にふるまう」ような態度をいうから、「自由な、束縛されない」という意味からさほど遠くない。また、「自由な」という用例が全く消滅してしまったわけではない。小学館ロベール仏和大辞典は、現代に残るその用例をいくつか示してくれている。「homme franc d’ambition(野心にとらわれない男、野心を捨てた男)」「franc d’impot(免税の)」「coup franc(フリーキック)」「groupes francs(遊撃班)」…。
フランス語をやり始めて、フリーキックをなぜcoup francというのか個人的に謎だったが、辞書をよく読めば理由が書いてあった。まさかフランク人と関係があるとは。