コルド・シュル・シエル
少し時間ができたので、せっせと家族サービスにいそしむブレロ。先日はバイヨンヌに行ったが、今回は一家でコルド・シュル・シエル(Cordes-sur-Ciel)に行くことにした。
コルド・シュル・シエル(以下「コルド」)は、「フランスの最も美しい村(Les plus beaux villages de France)」運動が選定した村の1つである(2014年に第1位を獲得)。「フランスの最も美しい村」に選定されるような村には、小高い丘の頂上に家が集まってできた村が多い。この種の村は鷲巣村と呼ばれており、コルドも典型的な鷲巣村の1つである。鷲巣村は外敵の来襲に立ち向かう都市形態の1つであり、往時はもちろん要塞としての機能を備えていた。
コルドには以前、ブレロの妻氏が単独で訪れたことがあるらしい。一方、ブレロはブレロで、サン・シル・ラポピー(Saint-Cirq-Lapopie)という村を単独で訪れていた。サン・シル・ラポピーも、「フランスの最も美しい村」に選定されたことがある鷲巣村である(2012年に第1位を獲得)。しかし、ブレロが当時抱いた感想は、「確かに美しい村だが何もない、およそ観光地という風情ではない」というものであった。ブレロがサン・シル・ラポピーを訪れたその日には、わざわざバスをチャーターして村に乗り込んだ中国人観光客もいたが、彼らも(とくに見るものがないので)一様に困った顔をしていたのを記憶している。裏道の美学に基づいて武論富敦旅をする中で訪れるにはいい村だと思うが、果たして妻氏が行って満足するような場所かといえば、今もって疑問である。そんなことからブレロは、実際に行く前からコルドもサン・シル・ラポピーと同じような場所だと思い込んでおり、妻氏にとっていい旅行になるのかどうか心配していた。
しかし、コルドに着くと、この村がサン・シル・ラポピーの印象とは全く異なっているのに驚いてしまった。確かに、中世の面影が残る景観はしっかりと保存されている。だがこの村は、サン・シル・ラポピーよりもはるかに規模が大きく、ずっと観光地化していた。ふもとから丘の頂上まで立ち並ぶ家々の多くは、地元芸術家が営む宝飾や服飾のブティック、画廊、土産物屋として利用されており、店先に並ぶ様々な土地の物を見るだけでも楽しかった。妻氏の言によると、彼女が初めてここを訪れたときは、これほど観光地化していなかったそうである。そうだとすると、今回の旅は彼女にも新鮮な驚きをもたらしてくれたことになる。
ブレロ一家は、コルドの頂上付近にある美術館に入ってGérard Capouという地元の画家が描いた絵画を鑑賞したが、そこの学芸員さんはCapou氏の娘さんだった。彼女はブレロたちが日本人だと見抜いて、わざわざぎこちない英語で話しかけてくれた(フランス語で話してくれてもよかったのだが)。彼女によると、わが国の天皇陛下もコルドに来て宿泊したことがあるらしい。その際に天皇陛下は、画家のCapou氏とも話をしたのだとか。そんな話は初めて聞いたのでびっくりである。宿泊したのは昭和天皇であろうか、平成天皇であろうか*。
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コルド・シュル・シエル
は丘の麓から頂上までこのように家が立ち並ぶ。その細道をゆっくりと登っていく。
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頂上にある旧市場
の隣。手づくりチョコレートの店があり、ブレロ3号に買ってあげた。
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藤の花は最盛期に
もっとあちらこちらで咲き誇るという。残念ながら盛りをすぎてしまったが、まだここにはキレイに咲いていた。
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日本の藤
が一番キレイだと思うけど、フランスの藤もいいな…。
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頂上付近にある
カフェの中庭。ゆったりとした時間が流れていく。ブレロは地ビールを注文。
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旧市場は
展望デッキになっている。そのそばにあった不思議なブリキ調の彫刻。
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街の外壁に
沿って麓に下りる道もある。景色を楽しみつつ下ることができる。
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コルド・シュル・シエルの
中腹から眺めた景色。余裕があれば夕方にあの丘に登って、街灯に照らされたコルドの写真を撮ったのだが。
ブレロ一家が宿泊したホテルからは、頂上にある旧市場はすぐそこであった。われわれが宿泊した当日の夜に、旧市場でミニ・コンサートが開催されていた。男性歌手が一人、カラオケに合わせてカンツォーネを歌っていた。ブレロたちは旧市場に面したカフェのテラス席に座って彼の歌を聴き、ブレロ3号はそのカフェで買ったアイスクリームを喜んで食べていた。1曲歌い終わるたびに、旧市場の石段に座る聴衆から拍手と歓声があがる。「ああヨーロッパだなあ、ここは」とブレロは感慨を深くした。
*ひょっとすると、1994年に平成天皇(現上皇)がトゥールーズを訪問したときのことかもしれない。同年、平成天皇はスペイン王国を訪問したが、その前にトゥールーズにも立ち寄ったからである。しかしこのスペイン行幸は、わが国にとってかなり恥ずかしいものになった。平成天皇は皇太子時代(1985年)にスペインから金羊毛勲章を授与されており、同国を再訪した暁には、慣例に従って同勲章を佩用して儀式(晩さん会)に臨む予定であった。しかし、宮内庁職員が勲章の携行を忘れてしまった。急遽、勲章をイベリア航空の「機長託送」で配送しようとしたが、単なる貴重品として扱われたため、配送中に紛失してしまったという。行幸の際、本当に平成天皇がトゥールーズからコルドまで足を伸ばしたとすれば、コルドを訪問したときにはすでに、勲章が手元にないこと、急遽航空機で配送中であることを同天皇は知らされていただろう。そして、内心穏やかでなかったであろう。それでもCapou氏や娘さんにそのような印象を全く与えなかった、ということになる。そのあたりが、天皇陛下の天皇陛下たるゆえんかもしれない(確認したわけではないので、仮定の話だが)。なお、勲章は上記のように平成天皇の手元には届かなかったので、急遽スペイン政府から同じ勲章を借用して儀式に臨んだそうだ。そして日本の外務省及び宮内庁は、スペイン側に陳謝したとのことである。このあたりの経緯は、全部Wikipediaに書かれている。