フランス・オクシタニ地方ライドその6.1

この季節はやはり海まで走りたい。以前、セットまで武論富旅をしたが、これは泊りがけのライドだった。もっと近くで日帰りできるコースはないか。そう考えて改めて地図をみてみると、ナルボンヌ(Narbonne)から地中海までそう遠くないので、ここをライドするのがよさそうに思えた。

 

ナルボンヌの南方は地中海までずっと陸地というわけではなく、いくつもの汽水湖が存在する複雑な地形を成している。またこれらの汽水湖は互いに運河で結ばれている。汽水湖の周辺にはブドウ畑もあるが、多くは低灌木や雑草が生えていて荒れ地のようである。湿原も広がっており、そこには主にアシのような草が生えている。このあたり全体が自然国立公園になっていて、野鳥観察やランドネ(ハイキング)する人のための道が整備されている。その一部はサイクリングにも適しており、今回のライドでブレロはその道を利用したが、実際、たくさんのサイクリストがそこを走っていた。

 

目指したのはグリュイッサン(Gruissan)という街である。グリュイッサンの旧市街は、汽水湖であるグリュイッサン池とグラゼル池(Etang du Grazel)の間を塞ぐような形状の土地にあり、急峻な小高い丘があってその周辺に形成されている。丘の上にはかつて城があったようだが、現在ではその残骸である塔だけが残っている(この塔は赤ひげの塔(Tour Barberousse)と呼ばれている*1)。新市街はグラゼル池の向こう岸にあり、地中海に面していて、気持ちのよい砂浜(Plage des Chalets)が広がっている。まだバカンス中の人も多いようで、グリュイッサンの旧市街にも砂浜にも多くの人がいた。とくに赤ひげの塔には多くの観光客が訪れていた。

 

今回のライドのもう一つの目的地は塩田である。この塩田はサン・マルタン島(l'île Saint-Martin)と呼ばれる「島」の南側にある。したがって、塩田の名前もサン・マルタン島塩田(Le Salin de l'île Saint-Martin de Gruissan)。だが実際には、「島」というよりはエロール池(Etang de l’Ayrolle)という汽水湖に突き出した半島といった感じである *2。

 

この塩田が素晴らしいのは、入場がタダだということ(先に訪れたエグ・モルト塩田では、徒歩入場料として9ユーロも支払ったというのに)。自転車で乗り入れることもできるが、入場口に誰も見張りがいないので、マウンテンバイクでないとダメとか、そういうこともないのではないかと思う。「なんだ最初からこっちに来ればよかった」と思うことしきりである。ただ、行動できる範囲は入場口からまっすぐの一本道に限定されているので、移動できるのはせいぜい500メートルくらいか。その点が(望むなら)30キロも移動できるエグ・モルト塩田と大きく違う点の1つといえるだろう。

 

だが、そうした欠点を補ってあまりあるのが、サン・マルタン島塩田にはレストランやバーが併設されていることである(エグ・モルト塩田にはその種の施設はなく、せいぜいキオスクがある程度)。混んでいない時間帯であれば、このレストランやバーの中で、塩田の雄大な景色を眺めつつ料理を楽しむことができる。今回ブレロは、ここで料理を食べはしなかったが、例によって白ワインをグラス1杯分飲んだ。

 

ナルボンヌを出発したときから微風が西から吹いていたが、午後遅くなるにつれて風がどんどん強くなってきた。帰りの電車に間に合うようにナルボンヌに戻らなくてはいけないが、途中までは完全な逆風状態で、2速ギアでないととても前へ進めなかった。これはけっこうな苦行であった。だがまあ、何とかナルボンヌにたどり着けた。予定していた電車より1本遅くなったが、それでもちゃんと日帰りできたのだからよしとしよう。

 

既述のように、ブレロはグリュイッサンへ行くのに自然公園内の運河沿いの遊歩道を使った。ここは車が走っていない点はありがたかったが、道としてはさほど面白い道ではなかった。帰路は県道32号を走ったが、行きも帰りも県道32号にしたほうがよかったと思う。再び走る機会があるのかどうかわからないが、そのようにルートを修正して記録することにしよう。なお、県道32号沿いにはコノアック岩(Roc de Conilhac)と呼ばれる不思議な岩山があり、ライド中のブレロの興味関心を大いにかき立てた(時間がなくて寄れなかった)。平野の中にポンと置かれたように佇むこの小さな岩山が、いったいどんな地学的要因によって形成されたのかはわからない。しかし、地元のバードウォッチャーにとっては、地中海を渡ってくる渡り鳥たちを観察するのに最適な場所の一つとなっているようである。

 

*1 グリュイッサンはオック語表記ではGrussanと綴る。ここに城が建てられたのは10世紀末のことで、この城は漁村として発展してきたグリュイッサンをイスラム教徒による侵略や略奪から守る砦であった。しかしその塔がなぜ「赤ひげの塔」と呼ばれているのかについて、正確な理由は今のところわかっていない。最も信頼できる起源としては、事実上海賊行為もしていたオスマン・トルコ帝国の海軍提督のあだ名(その赤ひげにちなんだあだ名)が指摘されている(グリュイッサン町のサイトより)。彼の名前は、ヒズル・ハイル・アド・ディン(Khizir Khayr ad-Dîn)。ただ当時のグリュイッサンのような小さな村落が、ヒズルのような大物海賊の目に、略奪価値のある村落として映ったかどうかは定かでない。

 

*2 運河によって内陸から切断されているから、島といえば島なのかもしれない。かつて堀に囲まれた要塞都市であったリル・シュル・タルンが「島」という名前を冠しているのと、同じ理由で。

 

本ライドのルート記録