フランス・オクシタニ地方ライドその5

職場のフランス人の同僚がブレロ一家を自宅に招いて昼食をごちそうしてくれたことがあったが、彼女の家はラバスタン(Rabastens)というコミューンの中にあった。ラバスタンはトゥールーズの東方に位置する小さなコミューンである。その東隣にリル・シュル・タルン(Lisle-sur-Tarn)というコミューンがある。ここには興趣をそそる古い建物があるというので、昼食前に彼女とその旦那さんが我々を案内してくれた。このときの印象がブレロの中に強く残っていたので、リル・シュル・タルンを出発点とするライドを構想してみようと思い立った。

 

なお、リル・シュル・タルンのさらに東隣にはガヤック(Gaillac)という町がある。ガヤックはワインの生産地としてオクシタニ地方ではとりわけ有名であり、リル・シュル・タルンで生産されるワインも一般的にはガヤック・ワインとして分類されている。そこで今回のライドのもう一つのテーマとして、このガヤック・ワインのドメーヌ(ワイナリー)を何件か探訪してみることにした。

 

リル・シュル・タルンの「シュル・タルン」は、もちろんこの一帯を流れるタルン(Tarn)川の流域であることを意味しているが、「リル」は定冠詞(La)に名詞isleがくっついたもの(したがって本来はコンマが入り、L’isleと綴るべきなのだろう。)で、isleは現代フランス語île(島)の廃語表記であるという。かつては城塞都市(bastide)であり堀に囲まれていたので、そのような名前がついたようだ。日本にも内陸の土地ではあるが「島」という文字を含む地名があり(たとえば茨城県の「猿島」)、そのような土地はたいてい用水路や小川に四方を囲まれている(あるいは囲まれていた)。洋の東西を問わず、同様の発想で地名が作られているところが面白い。

 

リル・シュル・タルンには城壁がほとんど残っていないようだが、中世の建築様式を特徴づける建築物がまだ多く残っている。そして街の中の狭く細い道を行くと、建物同士をつなぐ橋のような回廊を見つけることができる。この空中回廊はプント(pountet)と呼ばれているらしいが、プントとは何語なのかわからない。似たような言葉に18世紀フランス語のpontetがある。あるサイトによると、この言葉はオック語(pons)からの借用語であるという。後のpont(橋)の廃語表記に当たる。

 

リル・シュル・タルンの古い建築をしみじみと味わったのち、ブレロは近隣のラペリエール丘陵(La Côte de Lapeyrière)へと向かった。頂上へは1本の県道を使って登ることができる。だいたい1キロちょっとくらいだと思うが、けっこうな登坂であった。しかし基本的には優しい坂であり、愛機で足をつかずに登りきれた。

 

この丘陵の頂上には、ロン・ペシュ(Long-Pech)というドメーヌがあるので訪れてみた。だが全く人気がない。開店時間とはいえ、平日の月曜日に訪問したことがまずかったのかもしれない。しかし偶然、小屋の中から年若い青年がマウンテンバイクを抱えて出てきたので、声をかけてみた。どうもこのワイナリーの関係者らしい(オーナーの息子さん?)が、あいにく今日はデギュスタシオン(試飲)ができないという(もともとここでは試飲するつもりがなかったので、その点は問題ない)。しかしここで生産している様々なワインの種類をみせてもらい、一応の説明を彼から受けることができた。ブレロはお土産に、最初に紹介してもらったロゼ・ワインを1本購入した。

 

帰り際にロン・ペシュの所有になると思われるブドウ畑を眺めてみる。もちろんまだ実はできていないが、葉っぱは青々と茂り、強い風の中で揺れていた。どうも今日は大気が不安定のようだ。ときに晴れたり、ときに雲がわいてきて雨がぽつっと降ってきたりする(ただしそれ以上には降ってこなくて助かった)。

 

丘陵を降りて、今度はサラベル(Sarrabelle)というドメーヌを訪れてみる*1。ここのドメーヌは由緒あるドメーヌで、その歴史は18世紀末まで遡るという(現オーナーは8代目)。来客用の建物に入ると、すでに試飲を楽しんでいる観光客のグループを見つけた。彼らは英語を話していたので、フランス人ではないのだろう。ブレロも若い女性スタッフに試飲を申し込むと、やや年配の女性(マダム)が奥から現れて応接してくれた。

 

ブレロの相手をしてくれたマダムの勧めにしたがって、白ワインを3本ほど試飲してみる。各々グラス3分の1程度の量なので、合わせてグラス1杯分になる*2。どのワインも素晴らしかったが、最後に飲んだマスカット種をもとに作られたワインを1本だけ購入することにした。

 

マダムは非常に親切な人で、1本しかワインを購入しなかったにもかかわらず、ブレロが自転車でやってきたことを知ると、ミネラルウォーターのペットボトルを1本サービスしてくれた。玄関口で受け取るときにこのドメーヌの長い歴史について会話を交わし、「この伝統がずっと続くといいですね」とブレロがいうと、マダムはおもむろに近くで重機を運転している男性を指さして、「あの人が9代目候補よ」と教えてくれた。ただ事業を継ぐかどうかはまだはっきりしていないのだという。「プレッシャーをかけてはいるけど」と笑いながらおっしゃっていた。

 

予定ではソル(Saurs)という村にあるもう一つのドメーヌ、シャトー・ド・ソル(Château de Saurs)を訪問するつもりだったが、すでにグラス1杯分ワインを飲んでしまったし、カバン(リュック)の中にはすでに2本瓶が入っていて、さらに1本ワインを詰め込む余裕もなかったので、シャトーの入り口までライドして建物を外から眺めるだけにとどめた。帰路、このシャトーの近くにあるブドウ畑が丘陵のずっと向こうまで続いているのを見た。ミュレに住むブレロにとってガヤック・ワインは入手しやすく、普段から飲んでいるが、その生産地である丘陵とそこを吹き渡る風を愛機に乗って直に感じることができたのは、大きな喜びだった。

 

*1 ここのドメーヌのパンフレットに書かれている由緒書きによると、ドメーヌの名前であるSarrabelleは、ある泉の名前からとったものだという。この泉の名前はオック語のsarro-belloに由来するが、その意はフランス語ではserrer sa belle dans ses bras(彼は美人を抱きしめる)になるようだ。そこが伝説上の逢引の場所だったため、そのように名付けられたとのことだが、逢引の主人公である娘については、その名前がYolandeであったという以外に何も説明されていない。ネットで色々と調べてみたが、結局よくわからなかった。Yolandeという伝説上の人物は何人もいるが、いずれも別人のようである。たとえばサン・ランベール・エ・モン・ド・ジュー(Saint-Lambert-et-Mont-de-Jeux)というやたら長い地名の、ベルギーに近い場所で死を遂げたYolandeという女性の伝説もある(ある伝説収集サイト上で紹介されている)。夫に浮気を疑われて獄死させられた女性の話だが、ブレロはなぜかこの種のフランスの古い伝説が好きである。ブレロがまだ若いころ、フランス語会話のNHKラジオ講座で古い伝説を教材にしていた講師がいたが、この番組は大好きな番組の一つであった。会話力の向上に向いている番組ではなかったが…。

 

*2 前の記事にも書いたが、フランスでは、ワイン1杯くらいでは道交法に違反しないようである。詳細はこちら

 

↑今回のライドのショートムービー

 

本ライドのルート記録