フランス・オクシタニ地方ライドその2

年の瀬も押し迫った2024年12月29日に、フランスに来てから2回目の武論富敦旅を実行した。

 

カステルノダリ(Castelnaudary)の街まで輪行し、そこを出発してまた戻ってくるというコースを設定した。このコースにしたのは、先日カルカソンヌまで旅行したときに、鉄道の車窓からみた景色があまりにも印象深かったためだ。

 

まず街の中にあるキュガレル風車を見物することに。カステルノダリは駅前が一番低地で、奥にいくほど高くなるが、その一番高い街の奥にこの風車はあった。

 

風車の壁の一部に、まるで焼け焦げた跡のように黒く脆くなっている部分があったが、ここだけ炎が壁を焼くような出来事がかつてあったのだろうか。いろいろな想像がブレロの頭の中をよぎった。

 

風車の向こう側は崖になっていて、本来なら遥か北の方に広がる田園の景色を眺めることができただろう。だがあいにく今日は濃い霧が出ていて、ほとんど何も見えない状態だった。この霧が崖でせき止められているような感じで、もうしばらくすると街も霧が飲み込んでしまいそうだった。ブレロは風車の見学もそこそこに、ライドを本格始動することにした。

 

幸いカステルノダリの南方は、少し靄ってはいるけれども基本的には晴れていた。田園の中のよい道を進んでいくと地元の愛好家のための飛行場があった。年末のせいか、誰かいる気配はしない。小型セスナが1機だけ駐機していたが、これから誰かこれに乗るのだろうか。

 

マス・サント・ピュエル(Mas Saintes Puelles)というコミューンに着く。この集落は、これからブレロが行こうと思っている丘陵地帯の端っこに位置している。ここにも風車があるというので、見学してみることにした。そこまでの道はダートで、丘を直登する形になっているので、愛機はふもとに置いて徒歩で登ってみた。

 

こちらの風車の構造も、キュガレル風車と同じらしい(ラフォン(Laffont)式という)。かつてはこの地域に150を超える風車があり製粉のために稼働していたそうだが、今日では十数基しか残っていないという。この丘の上から来た方向を眺めてみると、高速道路がよく見えた。

 

ここからさらにバレーニュ(Baraigne)という小さな小さなコミューンに行く。ここにはビュイソン(Buisson)家由来の古城があるのだが、城までの道は封鎖されていた。私有財産とはいえ外から眺めることくらいはできたはずだが、最近事情が変わったのだろうか。仕方がないのでそのかわりといってはなんだが、このコミューンにある小さなかわいらしい教会を訪れてみる。16世紀創建と伝えられる教会で、中には小さな二つの窓があり、一応ステンドガラスになっていた。建物から外へ出るときに、この集落の住民と思しき老人夫婦と入れ違いになった。ご主人は膝をとても悪くしていて、歩くのがすごく難しそうだった。日曜日なので祈りに来たのだろうか。東洋人の見知らぬ人間がいきなり教会から出てきてさぞびっくりされたに違いない。でも、きちんと挨拶を交わしてくれた。

 

 

 

このご夫婦はきっとこの集落で生まれ、この集落で一生を終えるのだろう。その人生の節目節目に、この小さな教会がかかわっていたに違いない。はるか16世紀の昔からこうした住民たちによってこの教会が守られてきたのだと思うと、実に感慨深い。しかし、ここも今は限界集落になってしまっているのかもしれない。

 

コースの折り返し地点は、U字型をしたガンギーズ湖(Lac de la Ganguise)の中央部にある岬の中に設定した。標高の一番高い地点が、折り返し地点である。そこまでは車が全く通らないような一本の狭い農道?が続いていた。ブレロは全然車が通らないので愛機を倒して道の上に座り込み、長い休憩をとった。

 

岬を挟んで北側は晴れていたが、南側は靄が漂っていて、かろうじて湖面や岸の地形が見える感じだった。その靄が傾き始めた冬の日に照らされて光り輝き、その反射光は灌木や草を金色に染めていた。

 

360度、いつまでも眺めていたい景色だったが、ここは折り返し地点に過ぎない。帰りの電車までにカステルノダリに戻らないといけない。「こんなに美しいときが、なぜこんなに短いのだろう」とは、梶井基次郎の小説の一節だったか。明日はもう晦日で、しかも自分は今こんな辺鄙な南フランスの丘の上にいる。喜びとさみしさがないまぜになったような気持ちが胸を突きあげてきた。

 

↑今回のライドのショートムービー

 

本ライドのルート記録