カルカソンヌ

家族サービスのためにカルカソンヌ(Carcassonne)を訪れてみた。ブレロ一家にとってこの街を訪れるのは初めてのことである。

 

電車で行ったが、トゥールーズからカルカソンヌまでの車外の景色は最高であった。こんなところをポタリングできたらさぞ気分よかろうと思わせる、平野と丘陵の絶妙な組み合わせから成る景色が、ずっとずっと続いていた。ちゃんと計画を練って、ぜひ実際にポタリングしてみたいと思う。

 

ところで、カルカソンヌの旧市街(城塞内の街)が中世の趣を色濃く残していることは伝聞で知っていたが、実際に訪れてみるとその「中世」がひしひしと感じられるので驚いてしまった。

 

とくに夜コンタル城(Château Comtal*1)内を徘徊してみると、不意に角を曲がった時に中世のいで立ちをした騎士か町民に出会えるのではないかと錯覚してしまうくらいのムードが、あたりを漂っていた。

 

実のところコンタル城は、夜には(中世の時代には存在しないはずの)ライトアップに照らされる。しかし、そのライトアップも控えめなせいか、城内のちょっとした細道に入ると、それこそ騎士の亡霊が出てきてもおかしくないような雰囲気がそこにはあった。

 

なぜ、われわれがそんなおどろおどろしいコンタル城内を夜徘徊したかというと、妻氏が予め探してくれたカスレ*2の名店(レストラン)に行くためである。その名もLa Demeure de cassoulet(カスレの家)。確かにここのカスレは美味しかった。鴨などを煮込んだスープの味が白いインゲン豆に染み通り、肉はどれもホロホロであった。おかげで、注文したピッチャーの赤ワインがあっという間に空になってしまった。ブレロ3号も、デザートのパフェ(バニラアイス)を夢中でほおばっていた。

 

 

妻氏もカルカソンヌを大いに気に入ったようで、「自由時間をもらえた日に自分ひとりでもまた訪れてみたい」などと言っていた。トゥールーズからそれほど遠くないので、日帰りも十分可能であろう。ひごろブレロ3号の育児に疲弊しきっている妻氏が、そんな優雅な一日を過ごしても決してバチはあたらないだろう。

 

*1 フランスでは「城(château)」というと2種類ある。王や貴族の居館でしかなかった地所と、軍事要塞を兼ねた地所である。前者には要塞としての機能はなく、ゴチックやロマネスク様式の壮麗な建築物であることが多い。つまり、城というより宮殿なのだが、フランス語では前者にも後者にもchâteauという言葉を使う(ヴェルサイユ宮殿はChâteau de Versailles)。一方、「城」という日本語は、後者の意味で使用されるのが普通ではないかと思う。

 

châteauの語源を調べると、もともとは基地(camp)・野営地の意味をもつラテン語castrumのようなので、古くは要塞にだけ用いられていた言葉ではないかと推測する。というより、王や貴族の居館が要塞でない例は、その当時まれだったのかもしれない。時代が下り平和になって、王や貴族の居館から要塞的要素が抜け落ち、代わって権力と富を誇示する装飾的要素が強くなっていった。フランスでは、そのように宮殿化してしまった居館に対しても、惰性でchâteauという言葉が使われ続けたのだろう。なお、宮殿は大きな建物であることが普通であるから、同様に大きな建物であるワイン醸造所もchâteauといわれるようになったのは、よく知られているところである。

 

ところでラテン語castrumは、フランス語を経由して英語のcastleという言葉にもなったが、宮殿にcastleの語を用いることは多くないだろう。その意味では、英語castleのほうがcastrumの元々の語義を濃厚に受け継いでいるといえるかもしれない。

 

それにしても、castrum(カストルム)がどのようにしてchâteau(シャトー)に変化するのか、まったく想像もつかない。言葉の変化というのは本当に不思議である。

 

*2 カスレの本場は3つあるといわれる。トゥールーズ、カステルノダリ(Casternaudary)、そしてカルカソンヌである。